(平成2年3月発行 三池新労組結成30周年記念誌「風雪」より抜粋) |
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昭和35年3月29日 この日、外部団体約150人による自動車パレードが始まったのは午後3時頃からであった。 午後5時頃四山鉱正門前では約250人の旧労組員がピケについていた。先頭から4台の車ま ではなんのことなく四山鉱正門前を通りすぎたが、5台目のハイヤーが正門横のテントのピケ 小屋にさしかかったとき衝突が起こり、この乱闘で双方数十人が負傷し、四山鉱の旧労組員、 久保清氏が刺殺された。 炭労の原委員長は下り特急「さくら」の食堂車にいた。3月29日三池に向かう途中であった。 ボーイから渡されたばかりの電報を見つめていた。カナ文字は無表情に、三池の旧労組員、 久保清氏がこの日の夕刻、外部団体員に刺殺されたことを伝えていた。 「これで争議は長くなる」 原委員長の表情は暗かった。 ―― 三井鉱山各労組の足並み はすでに乱れていた。三社連が炭労を脱退、つづいて鉱員組合の三鉱連も三池を除く5山が 同調の構えを見せていた。これでは戦えぬ。 炭労は27日、戦術転換の指令“212号”を発し、 「ストを中止し中労委に斡旋を申請する」ことに踏みきっていた。三池労組には泣いてもらおう。 炭労の判断はそう傾いていた。 ―― 刺殺事件はその時に起った。 三池の空気は硬化した。のむ腹だった藤林斡旋案も拒否に決まった。 ついに解決へのチャ ンスを見送ったわけである。見方を変えればこの刺殺事件が争議のポイントを大きく切り換え たとも言えよう。 四山鉱正門前で激しい乱闘を繰り広げる外部団体と旧労組ピケ隊 この現場で刺殺事件が起きた |
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2002.1.14.作成 | |
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