Nontaの思い
 
 
   「三池争議」TOPにも書いていますように、この争議は終結後も長く人々の心に暗い影を落としま
 した。私が小学生の頃はオフクロなどによく「あすこん家は旧労(三池労組)やけん、遊びに行ったら
 でけんよ!」というような事を言われた記憶があります。 私たち子供は「大人がなんかわからんこつ
 ば言いよる」位の思いで聞き、遊ぶのは一緒に遊んでいました。
 
  いつかオフクロになんでそんなことを言うのか聞いてみたことがありますが、その時の答えは「あん
 人たちにゃ争議ん時に大分こなされた(苛められた)けんねぇ。おまえは覚えとらんじゃろうばってん、
 お父さんが四山鉱に篭城しとらした時にゃ、家(社宅)におっと石ば投げらるる、晩になっと雨戸ばドン
 ドン叩かれて寝られん、しょんなかけん、組合が手配してくれた旅館に疎開したとよ。争議は終わった
 ていうてもあん時んこつは忘れられんタイ。」というものでした。
 
  この言葉を聞いて、三池争議当時、白内障ですでに大分視力が無くなっていたオフクロにとって、
 小学生の兄、4つと2つの姉と私をかかえて、随分きつい思いをしたんだろうなぁと改めて思ったもの
 でした。 (石を投げられたり、何かあったら9歳だった兄が社宅内にあった警察の詰所に走ったそう
 です。)
 
  こういう原体験もあって、あの三池争議での三池労組の運動方針はやっぱり間違っていたと思う
 のです。 確かに首切りに対しては労働組合として断固闘うべきではありますが、ストが長期化し、
 組合員の中から方針の転換を要求する声があがり、全組合員の無記名投票を求めた時、これを全
 く無視したのはやはり非難されるべきもので、その後に続く新労結成という流れは致し方なかったと
 思います。
 
  何故、今ごろこんなことを書いたかというと、先日ネットサーフィンをしていて 「ひだるか」 という映
 画の製作準備委員会のHPに迷い込みました。 この 「ひだるか」 という映画については三池労組側
 から見た三池争議を題材にした映画らしいと言う情報を得ていたので、上記のHPには余り興味が無
 く今まで訪れることが無かったのですが、初めて訪れてみると、その中の「三池炭鉱のこと」というサ
 ブコンテンツからこの「想い出の三池炭鉱」にリンクが張られているのにびっくりしました。(連絡は全
 くありませんでした。)
 
  ともかくリンクが張られている以上、この「ひだるか」という映画の内容をもっと詳しく知っておかねば
 …と思い、あらすじや、シナリオを読んでみました。そのサイトの中だったと思いますが、三池労組幹
 部のOBの方が 「華麗なる三池闘争と評する光り輝くものと見ていた、そのことを誇りとしたことが如
 何ほどか… それを第二組合員の立場からみるとより輝くものとつくづく感動しました。」 というような
 感想を読んでいましたので、多少の期待をもってシナリオなどを読んだのですが、残念ながらその期
 待は見事に裏切られました。
 
  物語の筋としては現在のリストラ社会を福岡のTV局の経営危機にて表し、それに三池争議を重ね
 合わせているようですが、かつて三池炭鉱で働き、争議中に第一組合(三池労組)から第二組合(三
 池新労)に移ったという主人公の父が残した手紙にある「あの争議で私たちの裏切りさえなかったら、
 絶対、今回の三川鉱炭塵爆発事故は起きなかったはずです。三池労組が健在で、かつての力を保っ
 ていれば、会社の生産第一主義に必ずやストップをかけることができたはずです。 そのような意味
 で、私の選択がもたらした結果への責任は、重大です。一生の十字架として私の心の中で死ぬまで
 疼き続けることでしょう」という記述を当時の新労組員の気持ちとして扱っているのには内心憤りを感
 じます。(映画はあくまで「作り物」ではありますが…)
  確かに三川鉱大災害が起きた時にこういう思いを持った人もいたでしょうが、私の親父をはじめ新
 労結成に参加した3000余名の方々は新労結成の決断、実行に誇りを持ってその後の日々を送って
 こられたはずで、こういう視点での描写が一つも無く、上記の手紙の文面や劇中劇 「ひびきの石」の
 シーンに象徴されるような「新労組員の立場からの描写」は3000余名の方々を侮辱したものではない
 かとさえ思ってしまいます。
 
 せっかく久しぶりに大牟田が採りあげられる映画なのにこういう内容で心から応援することが出来ず、
 残念です。
 
  尚、あのリンクの件はあのサイトからここへこられてまた違った視点で三池争議を見られる人もいる
 かもしれないと思い、黙認することにしました。
 
2004.2.11作成