三池炭鉱新労働組合結成の経過
          (平成2年3月発行 三池新労組結成30周年記念誌「風雪」より抜粋)
 
  日本の労働運動の流れの方向を大きく転換させた三池争議は、労働運動史上かつてな
 い凄惨な争議として、世論の熱い注目を集めることになった。
  この争議は、単なる労働争議の領域を逸脱し、日本の労使関係を大きく塗り替えるのみ
 でなく、民主的労働運動を芽生えさせ、定着させる大きな要因となったことは事実であり、
 その直後全労会議が多くの仲間を結集させ全日本労働総同盟の結成へと発展を遂げて
 いった。
  以下、新労組結成の経過について概略触れてみたい。
 
  当時、民主的労働運動を推進する全労会議に相対立する総評の中核組合として、その
 指導方針である階級的労働運動をもっとも忠実に実践し先頭に立っていた炭労、中でも、
 特に最強の組合であると自負していた三池炭鉱労働組合(三池労組)は、鉄の団結を内
 外に誇るためにも組合員に対する指導体制は息苦しいまでに強制をはかっていた。
  石炭産業の宿命的不況と三井鉱山の業績不振を背景にして、昭和34年1月19日第1次
 再建案が会社から提示されて以来1年余りを経過したが、その間昭和34年11月22日、三
 社連(職員組合)は会社の現状を認めて希望退職に応じ、重ねて第2次再建方策に関し団
 体交渉を重ねた結果、 @妥結権の委譲 A闘争の早期解決 B指導方針の変更を要請
 し、単独妥結を行った。続いて、35年3月17日には本店職組が炭労脱退、刷新同盟支持を
 決議し引き続き18日三社連大会にて炭労脱退、3月19日に三池職組は大会を開き、炭労
 ・大牟田地評脱退と新労組支持を決定することになった。
  また三池労組の一翼をなしていた三池製作所支部が三池労組の坑内労働者重点の闘
 争至上主義から脱却し、昭和34年10月24日新組合を結成するに至った。
  三池労組として、その鉄の団結と強さを誇ってきた組合にも埋めることの出来ない、大き
 な裂け目が表面化してきた。
 
   人権無視の鉄の統制
 
  このような状態の中で、三池労組は鉄の統制を強化し、統制の名のもとに組合員の自由
 意思を拘束し「各組合員は組合主催以外の諸集会に参加する場合は必ず分会長を通じ支
 部闘争委員長の了解を得ること、これに違反するものは厳重な統制権の発動を行なう」と
 いうもので、個人の自由は完全に踏みにじられた。
  さらに、統制権はますます強化され「社宅からの外出を禁止し親戚・友人宅の訪問、魚つ
 りや映画鑑賞についても統制を加える」。
  このようにすべてが、全体主義的ファッショ的統制の中におかれていた。深夜の人員点
 検、早朝の点呼をし不在者には裏切り者扱いをし、その人達を集団での吊し上げや脅迫を
 行ない家族に対する圧迫、人権じゅうりんも公然と行なわれ、このような暴力行為はます
 ますエスカレートしていった。
  こういう状態の中で、真実を求める組合員は極左指導の罪過に目覚め、かえって批判活
 動を積極的に起こしていった。
 
   三池新労組の誕生
 
  こうして昭和35年3月11日批判勢力69名の中央委員の連名をもって、戦術転換の為の
 緊急中央委員会開催の要請を行なった。この中央委員会開催要求は、組合規約による民
 主的手続きであり、不当な圧力を避け、デモ・吊し上げなどのないよう平和的に運ぶことを
 約束させた。
  ところが、その約束は履行されず署名委員に対して連日脅迫と吊し上げが行なわれた。
 それを三池労組は、中止させるどころか、われ関せずの態度で署名委員に圧力を加えて
 きた。
  昭和35年3月15日、批判派の要請通り中央委員会が向坂元九大教授をはじめ、炭労委
 員長、社会党、炭労、総評オルグなど3,000名の傍聴者の前で開かれた。席上、批判勢力
 を代表して菊川委員より次の戦術転換の具体的方針が提案された。
 
 1.争議の事態収拾を図るためストライキを直ちに中止し、交渉の再開を行なう。
 2.解雇拒否者の1,200名の仲間には、あらためて希望退職者を募り会社に対して就職斡
   旋をさせる。これまでの組合融資は会社の責任で支払わせる。
 3.希望退職を拒否する者はその当、不当をはっきりさせる為法廷闘争に移して、その間
   拒否者とその家族の生活は組合カンパによって守っていく。
 4.この戦術転換は極めて重大な問題であり、中央委員会で採決せず三池全組合員の無
   記名投票でもって、その信意を求める。その決定の結果に対して従う。
 
  この提案理由の中で菊川委員が特に強調した点は、
 @ いまの日本の組合運動は、階級的な運動方針と民主的な運動方針とがある。前者は
  客観状勢を無視し、石炭企業の生産をストップさせることによって石炭産業の危機を増大
  せしめつつ労働者の権利を闘いとろうとするものであり、後者は石炭産業を再建し生産を
  高めつつその中で労働者の生活安定向上を闘いとろうとするものである。
 A 不幸にして炭労は前者を選び、なかんずく三池においてはこれを忠実に実施したがゆ
  えに今日の危機を招くに至った。
 B 三鉱連の三池支援の体制は楽観を許さないものがある。山野では近く予想される三
  鉱連の一斉全面ストはやれないといっているし、田川ではやったとしても精々3日だとい
  われている。
 C 三池の山元体制にも寒心すべき内部紛争が日増しに高まりつつある。このままでは組
  合員同志の紛争はさらに広まり、極めて憂慮すべき段階に直面している。
 
  これに対し、炭労委員長は「いまや我々の闘いは食うか食われるかの段階に来ており、
 理論をもてあましている余裕はない」とその見解を表明し、炭労としては戦術転換の意思
 は毛頭ない事を宣言、三池労組書記長もまた闘争方針を変える意思は全くないという態
 度を明らかにした。
  委員会開催の朝、三池労組組合長と参院議員(元組合長)は、事態収拾を図るため中
 央委員会を休憩して中央執行委員会を開き、批判派の要望を充分にとり入れるように中
 央委員全員に図るから、それまでは委員会の途中で退場など考えないでということで約束
 していた。ところが組合長は何らその約束を果たさず、再開後の中央委員会では突然 「も
 う論議も出尽くしたので皆さんの審議にお任せします」 と責任を中央委員会になすりつけ、
 「無記名投票を全組合員に求める」 という提案は受け入れられなかったのである。
  組合の決議機関ないし意思確認は、全組合員の無記名投票と代議員を選出した総会と
 があり、その次に中央委員会がある。何故無記名投票による全組合員による意思の再確
 認を求めないのかと、哀願するように再三再四に亘る批判派の要請に対しても一片の誠
 意さえ見せなかった。互いに胸襟を開いてそれこそ信義と友愛に基いて事態収拾するとい
 う誠意は毫も見出すことは出来なかった。
  このような経過の中で最終的に退場を決意し、刷新同盟が結成されるに至ったのである
 が、これはあくまで組織内にとどまって闘いを進めていく決意を明らかにしていた。しかし批
 判派が退場するや、直ちに批判組合員に対する集団吊し上げが各所で起こり、批判的思
 想を持つ善良なる組合員をも脅迫した。そして @「刷新同盟」加盟の中央委員ら80余名
 を除名処分にする。 A総評・炭労から2,000名のオルグ派遣を要請し、大衆説得の名の
 もとに吊し上げをやる。 B各単産からの救援生活資金を打ち切ることを決定した。
  我々は何ら不当な事実がないのに組合最高の懲罰である除名処分に付すに至っては
 組織内の「刷新同盟」の運動では、三池労組を組合員の手中に取り返し組合員のための
 組合に解放することは全く絶望視され、新労組結成へと踏み切ることとなったのである。
 
   ついに、昭和35年3月17日三池炭鉱新労働組合がここに誕生した。
 
(本文中実名を伏せた部分があります。ご了承下さい。)
2001.11.08.作成
 
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