“人 災” そ の 後
有明鉱火災から1ヶ月














  私が四山鉱に入社してから2年まで経たない昭和59年1月18日、同じ三池炭鉱の有明鉱で坑
 内火災が発生、83名もの殉職者を出すという大惨事が発生しました。
 
  この日、翌日の仕事の準備の為、早めに昇坑して坑外作業場で仕事をしていた私は、四山鉱
 の救護隊が装備を付けて集まっているのを見て「何かあったのかな?」とは思いましたが、まさか
 あんな事故が起きているとは思いもよらず、帰って夕方のTVニュースを見てびっくりした記憶が
 あります。この日は30数年ぶりという大雪の日でした。
 
  次の19日は休んでTVの画面にかじりついていました。それから暫くは生産を中止して保安作
 業を続け、大規模な退避訓練なども行ないました。しかし、私自身、近代化が進み、集中監視さ
 れている最新鋭炭鉱という自負があった中での大惨事に衝撃は大きなものがありました。
 
  ここで紹介する「“人災”その後」は当時私が購読していた熊本日日新聞に6日間にわたり連載
 されたものです。
  順を追ってUPしていきますので、どうぞご覧下さい。
 



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